ざっきちょう

書きたくなったら書きます。

夜更け

最近、一人でぼーっと考え事をする機会が減っている。

 

食って寝てネットサーフィンで興味も対してない情報をひたすらインプットだけしてるだけ。

金欠になったのもあって、あんまり予定を立てることもできてなくて、未来へのワクワク感が無い。

 

そう感じたきっかけが、エロゲのBGMを聴いたのがきっかけ。

 

昔から休日の朝をイメージしたような、ギターメインで、ハープや笛などが鳴っている明るい曲が好き。

 

メイプルのログイン画面の曲とか大好き。

 

思春期のときも、将来の夢で真っ先に思い浮かんでたのは、日曜の休日にベッドタウンで奥さんと子供と買い物に行くような日常のワンシーン。

 

誰かの誕生パーティーとか、旅行とか、ワクワクすることよりも、日常の幸せを嗜むようなことに憧れてた。

 

小学校高学年のときに、東京の夜の街のネオンを見て、キラキラしている街並みと、忙しない人々を見て、なんて魅力的なんだろうと思った。

 

特になんも努力もせずに、気づいたら東京の大学に行けていたし、東京で就職して、同年代より良い給料も貰っていた。

 

仕事の方も天職っていう分けではないけど、自分と相性が良い仕事に付けているとは思う。不満がないから。

 

でも、さみしい。

 

きっとすごく楽しいことがあった後だから、楽しいことジャンキーになっているのだと思う。

 

酒を飲んで、将来について熱く語るなんてことはやったことが無いけれど、今すぐにやりたい。

 

焚き火を囲んで、ただ欲望を語りあう。

 

脈絡もなく、寂しさをブログにぶつける。年1ぐらいしか書いてないけど。

 

きっと吐き出す先に困ったことがあるときにブログに書いているんだと思う。

 

中学校の頃に、友達とBUMPのrayの歌詞を馬鹿にしたことがあった。

 

さみしくなんかなかったよ、ちゃんとさみしくなれたから

 

今は意味がわかる。ほんとに寂しいときは、寂しさを感じることすら難しい。

 

比べるものが無いから。

 

今寂しいのは、寂しくないことが続いていたから。

 

毎日寂しい思いができる人生になれたらいいな。

誘う側と誘われる側

誘う側と誘われる側のバランスがある

1:9の人もいればその逆もしかり

かなり人それぞれの印象 

親戚や職場だと1:9 友人では7:3

関係地でも変わると思う

自分は家族は7:3 実家にいる頃はどこか行こうと言うのは自分が多かった

友人には9.9:0.1 誘われることは年に1~2回あるぐらい 年に50回くらい自分から声をかけている

なんでこうなったかは明白で、コミュニティに属したとき、自分はスタートダッシュをかける。少しでも興味があったりする人はすぐ声をかけるし、ご飯に誘う。そのために連絡先も聞く。

"誘う人"のイメージを持たれているから誘われないんだろうなと思う。

もう一個持論があって、"会いたい頻度"っていうのが誰にでもあると思う。

友人であれば半年に1回会いたいな ってパターンのとき、自分はだいたい3ヶ月に1回誘っていると思う。その人からすれば半年以上会わないときに、なんかの理由で会いたくなって誘うんだろうけど、その前に自分の方が会いたくなってしまう。

相手に会いたいなあって"会いたい頻度"が来る前に"誘う人"から誘われる

この2つの理由で自分は誘われにくいんだと思ってる。

会ってあげてもいいかなって思うぐらいの人もいると思うけど、騙されてもいいから信用したいのが自分のスタンスなのでこれでいい。

 

理想はこれが5:5になる関係だと思う。

恋愛でよくリードされたい、引っ張るタイプとか聞くけど、愛してる相手なら体が動くと思う。勝手に5:5になると思ってる。思いたい。

相手を信じてじっと待てる人もいるかもしれない

その人は1:9になるのが理想だと思ってるんだろうか。

 

案の定三日坊主で終わっていたブログ

やっぱり続かなかったブログ、、、

 

 

ブログとか日記とか書いては三日坊主になるのは通常運転。

 

 

なんか最近、Twitterは人から見られてる意識があってあんまり書きたいこと書けてないから誰も見てないであろうブログに書こうかなって考えてた。

 

 

今日書いときたかったのは意識して癖つけようとしてるコミュニケーション能力について。

 

 

ここ最近すごくコミュニケーションで意識してるのが相手が思わず話し始めてしまう話題をいかに我慢強く待ち続けられるか。

 

 

自分的には新しいもの好きだし、トレンドとかも結構敏感で、雑学とかも豊富な方だと思うから人と話すときに共通の話題を見つけることとかは苦労した記憶はない。

 

そのこともあって初対面の人でも会話が途切れない会話をすることが出来ていたから、自分の会話に問題があるとはあんまり感じていなかった。

 

最近コミュニケーション関係の本を読んでいて、ハッと思ったのがあって、

 

「沈黙」は話題について考えるために必要な時間でそれが人それぞれあること。

 

「質問」で終わる会話は途切れることはないけど、相手が思わず話してしまうようなノリノリの話題が出てきづらいこと。

 

 

その本には他にも、緊張して会話をしていたらその緊張感は必ず相手にも伝わってお互い緊張してしまう なんて書いてあった。

 

今までの自分のコミュニケーションを思い返したら、結構思い当たる節が多くて、これは治した方が今後のためになるな~って感じたから、それで矯正を始めた。

 

 

自分は結構、頭の回転が早いと言われるタイプで、会話とかも自分と同じスピードで会話できる人は色違いポケモンぐらい出会うことが少ない。

 

だから、今までは会話の沈黙はすごい苦痛だったし、やることないなら次の会話行きたいな~って感じてガンガン話題変えたりして沈黙をいかに作らないかを意識してた。

 

よく女性がデートで会話の中に沈黙がなかったことをプラスポイントの項目に入れたりしてるのを見てたから、それで良いんだって考える余地を作ってなかった。

 

 

今思えばすごい当たり前のことなんだけど、沈黙って会話が終わっちゃって気まずい空気のときもあるだろうけど、大体は聞かれたこととか、話題について自分の中にあるエピソードとかを洗ってる時間なんだよね。

 

 

そんな当たり前のことに気づいてからは、相手の沈黙を待っている時間が全然苦にならなくなったし、帰ってきたリアクションが微妙だったら、次の話題に切り替えていけば気持ちよく会話できることに気づいた。

 

 

これに繋がった話で、キョロ充なんかが女の子とラインするときにやりがちな会話の終わりを質問にして途切れない会話を無理やり作り出すあれ、意外と普段の会話で自分がやっていたことに本を読んで気づいた。

 

 

なんでそんなことするかって会話が終わったらその人との関係が終わっちゃうとか、考えちゃって次の伏線を無理やり残したくなるからだと思う。

 

 

でもそれって、インタビューとかなら良いけど、友人との会話として考えると、相手発信で話し始めるタイミングを奪い続けてるし、一つの話題が盛り上がって膨らみまくる可能性も無くしてるんだよね。

 

 

仲良い人と盛り上がる会話って「こんな話があって~」に対して「俺もそういうことがあって、この前~」って別に質問なんかいらないんよね。その人が話したい話を思い出したら人は勝手に話したくなるんよね。

 

狙っている女の子と会話する目的って距離を近づけるためなのに、会話が終わることが怖くて、質問攻めになってるのは本末転倒だよねって。

 

会話を盛り上げるためには「沈黙」をワクワクしてる顔で待ってあげること、

「質問」はほんとにスパイスで、基本的には自分のエピソードを伝える方が丁度いいこと

この2つの土台が整ったフィールドが用意された上で、相手が思わず飛びつきたくなる話題をどれだけぶっこめるかが大事ってことに今更気づいて、どっかに書いときたいなって思ってブログに書くことにしたのが今回の話。

 

 

名前を聞くならまず自分が名乗れってよく言うけど、ほんとそうだと思う。

 

話聞いてほしいならまず、話を聞く姿勢を伝えることが必要だし、話しかけてほしいなら話しかけなきゃいけないし、大体の人は無意識の内に 自分もやってもいいんだ っていう承認を求めてる気がする。

 

女の子はそれが特に強いと思うし、コミュニケーションの真髄ってそれの連続だと思う。

 

最近やっと少しずつ出来るようになってきたけど、こんな初歩的なこと無意識で出来るようにならないと、聞き上手とか話し上手にはなれないな~と感じた今日このごろ。

 

 

ついこの前卒論も書き終わって、そのときもすごい思ったけど、言いたいことが2~4行で伝わることが2000字近くになっちゃうのも治したいね。

 

それではまた。

 

 

SAによくあるやつ

夜行バスは経済的に余裕があれば選択する人は少ないと思う。

 

シートは硬いし、夏場は体臭も気になるし、やっとこさ寝付けても休憩で起こされたりするし。

 

 

でもそんな夜行バスが大好き。

 

出発する前の先に座席に座ってる人と目がチラチラ合いながら自分の座席を探して、座る。

 

そのまま、後ろの人がいなかったらラッキー座席を下げる。いたなら、申し訳無さを漂わせてお願いする。

 

座ってすぐ夜行バスの旅の準備をする。飲み物や軽食をスタンバイさせて、ネックピローに一生懸命空気をぶちこむ。

 

 

イヤホンを付けて周りの音を遮断して、靴を脱ぐ。

 

 

そのまま丁度いい座り方を見つけて次の日の予定を考えたり、お店探したり。

 

 

ここまでは流れ作業でほとんど無意識にやってる。

 

夜行バスで好きなのは乗る時よりも降りるとき。

 

休憩でSAPAに降りると、蒸し暑い車内で火照ったせいもあり、身震いする。そのまま体を擦りながらなんとなくバスの駐車位置を確認してトイレに向かう。

 

このなんともいえない雰囲気がとてもすき。

 

一応チラッと売店を眺めるけど、たっかいお土産ばっかで誰が買うんだろうといつも思う。

 

SAPAの休憩は基本的に降りるようにしてる。別にトイレに行きたくなくても降りる。

 

それは雰囲気がすきなのもあるし、大好きなニチレイ自動販売機があるかもしれないと思うとどうしても期待しちゃう。

 

一番満足感を感じるのは目的地についた時。

 

バスタで降りれれば自分の中では割と良いバス。大抵は池袋とか鍛冶橋駐車場とか。

 

鍛冶橋駐車場で降りてキャリーバッグを転がしてる列の一員になってまっすぐ東京駅向かうときとかすごい好き。

 

高校生くらいまでは大人の世界に一歩踏み込んでる感じがしていたし、なにより上京したい気持ちがあったから嬉しかったんだと思う。

 

いざ上京してみたけど、なんだかんだで実家に帰るときは夜行バスを使ってた。

 

バイトもしてたから新幹線に乗る余裕はあった。

 

でも夜行バスで帰ってたのはやっぱり夜行バスが好きだから。

 

仙台駅の新幹線改札を抜けて、サンドイッチと飲み物を買う流れも好きだけど、やっぱり夜行バスのほうが好き。

 

ほとんど夜行バスの話になったけど、ブログ書こうかなって思ったのはニチレイ自動販売機の冷凍食品が食べたくなったから。

 

ハンバーガセットね。ぺっちゃんこのハンバーガーと申し訳程度のポテトとからあげ。

 

あの感じ。 たまらない。

 

貧乏まではいかないけどしょぼい食べ物ってなにかそそるものがあると思う。

 

そんな大好きなニチレイ自動販売

 

2022年には完全に撤去するらしい。

 

とっても悲しい。

 

2022年までにハンバーガーセット3回くらい食べたいな。

何度目かの挑戦

ブログは何回か作ったことがある。

全部一度記事を書いて終わった。

昔から継続して何かを続けるのがとにかく苦手で、楽しい事ならば寝ずにやっていられるのだが、少しでも何らかの意志を持ってやらなければいけないことは苦手だ。

また、なにか発信することに恥ずかしさを感じることもある。やはり、誰かに見られる可能性があると少し不安になる。

本来であればSNSなんて自分をさらけ出してなんぼなはずで、それができないのであれば、向いてないのかもしれない。

載せようか悩んで、結局載せなかったり、その場の勢いでつぶやいてみたものの、あとから消してみたり。

私は幼少期から恥ずかしいことを悪や嫌な感情と捉えていて、極端に恥をかくことを嫌がっていた。

共感的羞恥が発動するシーンも特に苦手で、歌が下手な人や文化祭の拙い演奏など特に苦手だ。

でも、決して嫌悪感は抱かない。誰もが最初は下手っぴだし何回も失敗して上手になっていく。

最近、恥が嫌いだった考えが変わり始めてきていて、恥をさらけ出すことは意外と誰もがやっていて、いざ、さらけ出してみればなんてことはなく、不安から一瞬で開放されることに気づけたからである。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥と言うが、その通りで、一度実行してしまえばなんてことはないのだ。

そのことに気づけたのがここ最近で、生まれてから20年、たくさん損をしたなと感じた。

いま、ふと気づいた

私がブログを書いてみようと思うときは

大抵 他の人の面白いブログを読んだときである。

センスのある人は羨ましいし、本当にリスペクトしている。

意外と書いてみると、すらすらと書きたいことが出てきて、長くなってしまった。

それでは、また、ごきげんよう